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前橋地方裁判所 平成4年(ワ)374号 判決 1995年6月20日

原告

島田亜悠子

島田一弘

島田雅代

島田有紀代

原告兼右四名法定代理人親権者

島田康弘

右五名訴訟代理人弁護士

須賀貴

被告

医療法人一灯会

右代表者理事長

名古純一

被告

名古純一

右両名訴訟代理人弁護士

山岡正明

小暮清人

田中英正

藤口光洋

主文

一  被告らは、連帯して、原告島田康弘に対し、金二九三九万三五二七円及び内金二五三九万三五二七円に対する平成四年一月二四日から、内金四〇〇万円に対する同年九月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を、同島田亜悠子、同島田一弘、同島田雅代及び同島田有紀代に対し、各金六五四万八三八一円及びこれに対する同年一月二四日から各支払済みまで年五分の割合による金員をそれぞれ支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを一〇分し、その八を被告らの、その余を原告らの各負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮に執行することができる。

事実及び理由

第一  請求

被告らは、連帯して、

一  原告島田康弘に対し三六九三万二八〇円及び内三二九三万二八〇円に対する平成四年一月二四日から、内四〇〇万円に対する同年九月一二日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告島田亜悠子、同島田一弘、同島田雅代及び島田有紀代に対し各八六八万二五七〇円及びこれに対する同年一月二四日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、被告医療法人一灯会(以下「被告医療法人」という。)が開設し、被告名古純一(以下「被告純一」という。)が院長を務める新生産婦人科医院において、訴外島田清子(以下「亡清子」という。)が、平成四年一月二三日、女児を出産したが、その後の出血が止まらなかったため、被告純一、同医院副院長野村修一及び同医院勤務医名古靖(以上三名につき、以下「新生産婦人科医院医師」という。)が治療を施したが、出血はなおも止まらず、さらに、伊勢崎佐波医師会病院(以下「佐波医師会病院」という。)に転送されて治療を受けたが、翌日、弛緩出血を原因とする出血性ショックのために多臓器不全の状態になり死亡したことから、亡清子の夫及び子である原告らが、診療契約の債務不履行又は不法行為に基づく損害賠償請求として、亡清子の逸失利益等の相続分、近親者の精神的苦痛に対する慰謝料等の支払をそれぞれ求めた事案である。

一  争いのない事実等(1(一)及び2(四)以外は当事者間に争いがない。)

1  当事者

(一) 原告島田康弘(以下「原告康弘」という。)は亡清子の失であり、原告島田亜悠子(以下「原告亜悠子」という。)、島田一弘(以下「原告一弘」という。)、同島田雅代(以下「原告雅代」という。)及び同島田有紀代(以下「原告有紀代」という。)は原告康弘と亡清子の子である(原告康弘本人)。

(二) 被告医療法人は、産科・婦人科を専門とする医療法人であり、群馬県伊勢崎市大字茂呂二八七八番地一において新生産婦人科医院を開設している。

被告純一は、被告医療法人の理事長であり、同医院の院長を務める医師である。

2  新生産婦人科医院における診療経過

(一) 亡清子は、平成三年六月一八日、新生産婦人科医院を訪れ、被告医療法人との間で出産及びそれに付随して発生する治療を必要とする状態についての診療契約を締結し、以後、新生産婦人科医院医師の定期検診を受けていた。

なお、新生産婦人科医院医師が実施した亡清子に対する妊娠中の血液検査の結果は次のとおりであった。

(1) 平成三年六月一八日

ヘモグロビン 10.8グラム/デシリットル

ヘマトクリット 三三パーセント

(2) 平成三年一一月一二日

ヘモグロビン 10.1グラム/デシリットル

ヘマトクリット 三一パーセント

(3) 平成三年一二月二四日

ヘモグロビン 11.4グラム/デシリットル

ヘマトクリット 三五パーセント

(二) 亡清子は、出産予定日である平成四年一月一七日が既に経過した同月二二日午後五時五〇分ころ、分娩誘発目的のため、新生産婦人科医院に入院し、新生産婦人科医院医師は、亡清子に対して、子宮頸管熟化不全の診断をし、それに対する治療を施した。

(三) 亡清子は、翌二三日午前一一時、女児三六三八グラムを出産し、同日午前一一時五分、胎盤を娩出したがその直後から出血が始まり、同日午前一一時二〇分、新生産婦人科医院医師は、亡清子の分娩後の出血が多いことから弛緩性子宮出血と診断した。

なお、亡清子の出血状況は次のとおりである。

(1) 午前一一時二〇分

子宮収縮不良で三回くらい出血

(2) 午前一一時二五分

出血一一〇〇グラム

(3) 午前一一時四五分

出血一五一〇グラム(増四一〇グラム)

(4) 午後零時一〇分

出血一五四〇グラム(増三〇グラム)

(5) 午後零時三五分

出血一七六〇グラム(増二二〇グラム)

(6) 午後零時四七分

出血二三〇八グラム(増五四八グラム)

(7) 午後一時二四分

出血二五五二グラム(増二四四グラム)

(8) 午後二時三五分

出血三三四二グラム(増七九〇グラム)

(四) 同日午後零時三〇分、新生産婦人科医院医師は、佐波医師会病院へ輸血のために新鮮血を発注したが、保存血はあるが新鮮血は日赤血液センターへ依頼するので四〇分くらいかかると言われた(被告純一本人)。

同日午後一時五分、亡清子は、チアノーゼになった。

同日午後二時三五分、新生産婦人科医院医師は、亡清子に対し一回目の輸血をしたが、亡清子は、意識レベル低下及び舌根沈下の進行した出血性ショック状態に陥り、その後、亡清子は、心停止、自発呼吸停止の状態になったため、同日午後二時四五分、新生産婦人科医院医師は、気管内挿管を行った(甲一七、乙五、被告純一本人)。

(五) 同日午後二時四八分、新生産婦人科医院医師は、亡清子に対し二回目の輸血をした後、同日午後三時、亡清子は、救急車で佐波医師会病院に転送された。

3  佐波医師会病院に転送後の事実経過

同月二四日午前四時四二分、亡清子は、佐波医師会病院において、弛緩出血による出血性ショックに基づく多臓器不全により死亡した。

二  争点

本件の主な争点は、亡清子に対する新生産婦人科医院医師のとった処置に過失はなかったか、また、亡清子の死亡と右処置の間に因果関係が認められるか否かである。

三  原告らの主張

1  被告らの過失

(一) 出血性ショックの予見義務違反

出血性ショックの予防のために最も重要なことは、できるだけ早期にショックにつながる症状を見出し、それに対する処置をできるだけ早く行うことである。ところで、新生産婦人科医院医師が実施した亡清子に対する平成三年六月一八日、同年一一月一二日及び同年一二月二四日の血液検査の結果によれば、妊婦が出血に耐え得る基準値(ヘモグロビン 一三グラム/一〇〇ミリリットル、ヘマトクリット四〇パーセント)をいずれも下回っていたのであるから、新生産婦人科医院医師としては、亡清子が出血性ショックに陥る虞れがあることを予見し、更に詳しい検査を実施して、不測の大量出血に備えるべきであった。しかるに、新生産婦人科医院医師は、右検査結果から、亡清子が出血に耐えられるかどうか一応の疑問を抱いたものの、更に詳しい検査をし、出血に耐えられるようにするための治療を行わず、また、出血に備えて予め輸血用の血液を手配することなく漫然と分娩に臨んでしまった。

(二) 時期を失した輸血

平成四年一月二三日午前一一時二〇分、新生産婦人科医院医師は、亡清子の分娩後の出血量が多いことから弛緩性子宮出血と診断したのであるから、この時点で輸血の必要性を判断して、直ちにクロスマッチテスト(公差適合試験)用採血をし、必要に応じて輸血をすべきであったが、予め分娩前に輸血用の血液を手配していなかったため輸血をすることができなかった。

また、予め分娩前に輸血用の血液を手配していなかったのであるから、遅くとも弛緩出血の診断をした時点で、直ちに輸血用血液の手配をすべきであった。しかるに、新生産婦人科医院医師は、同日午後零時三〇分に至って輸血用血液の手配をしたため同日午後二時三五分になって、一回目の輸血を行うことになったが、この時点では亡清子のショック状態は悪化していたため、輸血の効果は現れず、亡清子のショック状態を改善することができなかった。

さらに、原告康弘は、新生産婦人科医院医師に対して自ら輸血用血液の提供を申し入れているのであるから、右申し入れを受けて輸血すべきであった。

なお、新生産婦人科医院医師は、同日午前一一時五二分、ヘスパンダー五〇〇シーシーを注射し、その後にクロスマッチテスト用血液の採取をしたが、同テストが不正確になる可能性があるのでヘスパンダー投与後にクロスマッチテスト用血液の採血をすべきではなかった。

(三) 誤った初期輸液療法

同日午前一一時二五分、亡清子の出血量は一一〇〇ミリリットルであったから、初期輸液療法として、ラクテック(乳酸加リンゲル液)一〇〇〇ないし二〇〇〇ミリリットルを約一時間で投与すべきであったが、新生産婦人科医院医師は、これを投与せず、初期輸液療法として禁忌とされる五パーセント糖液五〇〇ミリリットルを投与したため亡清子のショック状態はかえって悪化してしまった。その後、新生産婦人科医院医師は、同日午後零時三五分、ラクテック(乳酸加リンゲル液)五〇〇ミリリットルを投与したが、この時点での出血量は初期輸液療法の限界である一五〇〇ミリリットルを越えた一七六〇ミリリットルであったから、何の効果もなかった。

(四) 止血処置の誤り

新生産婦人科医院医師は、亡清子の出血に対して保存的止血処置(手術によらない方法)をし、それでも出血が止まらなければ、子宮摘出もしくはそれが危険であるなら子宮・上膀胱両動脈共同幹の腹膜外式結紮の手術をし、もし、それで止血に成功しない場合は両側総腸骨動脈を三〇分から一時間にわたって挾鉗するなどの観血的方法(手術による方法)で止血処置をすべきであったが、これを怠ったため、亡清子の出血性ショックは更に悪化した。

(五) 時期を失した気管内挿管

亡清子は、同日午後二時三五分、意識喪失、舌根沈下の進行した出血性ショック状態に陥り、呼吸困難な状態になったのであるから、新生産婦人科医院医師は、直ちに気管内挿管などの気道確保をしなければならなかったのに、これを怠ったため、亡清子は気道閉塞による呼吸困難になり、同日午後二時四三分、心停止、自発呼吸停止の状態に陥った。

(六) 代謝性アシドーシスの補正(治療)を怠ったこと

同日午後一時五分、亡清子はチアノーゼになり、低酸素状態になったのであるから、新生産婦人科医院医師は、メイロン(炭酸水素ナトリウム)を投与するなどして代謝性アシドーシスの補正(治療)をすべきであったにもかかわらず、これを怠り、亡清子が心停止の状態になっても、右補正を怠り、更に転送時に至っても右補正をしなかったので、亡清子の代謝性アシドーシスがショックを悪化させ、悪化したショックが代謝性アシドーシスを悪化させるという悪循環を繰り返してしまった。

なお、血液ガスの測定ができない場合でも、緊急の場合は、二五ないし五〇ミリリットルの重炭酸ソーダを一〇ないし一五分間隔で投与すべきである。

(七) 転送時期の誤り

緊急治療をするためには血液ガス分析装置、中心静脈の測定器具は不可欠であるが、設備が不十分であれば、取り敢えず応急措置をして直ちに設備が整った病院に転送すべきであった。

2  因果関係

出血性ショックは重症になっても不可逆性になりにくく、出血源を止め、輸液、輸血を十分に行えば、ショックからの離脱が可能な場合が圧倒的に多い。しかるに、新生産婦人科医院医師は、前記のとおり弛緩出血に対する治療を誤り、その結果、亡清子を不可逆性の出血性ショックに陥らせ、転送した時は既に手遅れとなり、亡清子を弛緩出血を原因とする出血性ショックで死亡させたのであるから、新生産婦人科医院医師の過失と亡清子の死亡との間に因果関係がある。

なお、亡清子がショック状態に陥ったのは、それまで投与していたヘスパンダーを中止し、ショック治療剤のデカドロンを二回目投与した午後二時ころであり、さらに、午後二時三五分には、出血量は三三四二ミリリットルに達し、呼吸困難、意識低下の危篤状態になったものであるから、新生産婦人科医院医師が前記のような適切な処置をとっていれば亡清子の死亡は防止できた。

3  損害

(一) 亡清子の死亡による損害

(1) 逸失利益 三三四六万五六〇円

① 損害賠償額算定基準平成四年版賃金センサス女子労働者の学歴計賃金年収二八〇万円

② 生活費四割控除

③ 中間利息の控除(新ホフマン式)

就労可能年数 三五年(死亡時三二歳)

係数 19.917

計算式

280万円×0.6×19.917=3346万560円

(2) 慰謝料 二〇〇〇万円

(3) 相続

右(1)、(2)は亡清子の被った損害であるところ、原告康弘は亡清子の夫であり、原告亜悠子、同一弘、同雅代及び同有紀代は亡清子の子であるから、原告らは、それぞれ法定相続分に従い、亡清子の損害賠償請求権を相続したものである。

(二) 原告康弘の損害

(1) 近親者慰謝料 五〇〇万円

(2) 葬儀費用 一二〇万円

(3) 弁護士費用 四〇〇万円

(三) 原告亜悠子、同一弘、同雅代及び同有紀代の各損害

近親者慰謝料 各二〇〇万円

四  被告らの反論

1  被告らの診療行為

(一)出血性ショックの予見義務

原告らは、妊婦が出血に耐え得る基準値は、ヘモグロビンについて一三グラム/一〇〇ミリリットルであることを前提に亡清子の検査結果はいずれも基準値以下であるとしているが、ヘモグロビンについて一三グラム/一〇〇ミリリットルが基準値となるのではなく、一一グラム/一〇〇ミリリットルが基準となるものである。なお、新生産婦人科医院医師は、亡清子に対し貧血の治療を行ってきた。

(二) 輸血時期

弛緩出血の診断と輸血用血液の手配とは直ちに結びつけられるものではない。また、新生産婦人科医院医師は、亡清子に対して保存的治療を行いながら新鮮血が必要と判断し、輸血用血液の手配を行った。

即ち、新生産婦人科医院医師は、亡清子を弛緩出血と診断した後、亡清子に対し輪状マッサージ、子宮双合圧迫の施行、輸液ルート二本の確保のほか各種輸液や子宮収縮剤の投与など止血処理を行い続け、これにより亡清子の状態は比較的落ち着き、また出血のスピードも減少気味になったが、このような状況においても、出血量が一五〇〇シーシーを越えたことから、平成四年一月二三日午後零時二〇分から午後零時三〇分にかけて輸血用血液の手配を行ったのであって、時期を失しているとはいえない。

なお、同日午後零時一二分、亡清子の子宮から出血した血液の性状がさらさらした感じであったことから、新生産婦人科医院医師は、亡清子に羊水栓塞のため羊水が血液中に入りDICが生じているのではないかとの疑いを持ったので、輸血にあたって保存血ではなく新鮮血を重視したものである。

(三) 初期輸液療法

原告らは亡清子が当初よりショック状態にあったことを前提として、初期輸液療法が誤っていると主張するが、亡清子が当初よりショック状態にあったものではない。

また、輸液療法についても、必ず乳酸加リンゲル液を輸液しなければならないわけではなく、五パーセント糖液の輸液でもよい。

(四) 止血処置

新生産婦人科医院医師は、子宮収縮をはかるため亡清子に対し、子宮双合圧迫、輪状マッサージ等を施し、子宮収縮剤の投与を行い、また、止血剤、代用血漿剤の投与も行ったのであって、止血処理に誤りはない。

また、本件で亡清子に対して、子宮摘出の手術を行うことは患者の状態を悪化させるものである。

(五) 気管内挿管

亡清子は、同日午後二時三五分ころ、意識喪失、呼吸困難な状態にはなかった。また、新生産婦人科医院医師は、亡清子に対し、酸素吸入を行っており酸素は自然に入る状態であった。その後、亡清子は、一時心停止、自発呼吸停止の状態になったが、それは呼吸困難のためではない。

(六) 代謝性アシドーシスの補正(治療)

同日午後一時五分ころ、亡清子は、低酸素状態にはなかった。また、メイロン(炭酸水素ナトリウム)の投与にあたっては血液ガスの計測が必要であるが、その計測を行うことができなかった。なお、メイロンの副作用としてアルカローシスになるおそれがある。

(七) 転送時期

佐波医師会病院には産婦人科はなく、また他の救急病院としては群馬大学附属病院があるが、新生産婦人科医院からは搬送に約一時間を要するものである。

2  因果関係

新生産婦人科医院医師は、亡清子が弛緩出血した後、患者の状態把握に努めつつ各種の止血処置や輸液を行い続け、その中で新鮮血の手配をし、血液到着までその処置を続け、患者の状態の改善に努めていたものであり、分娩を扱う施設での個人的な努力としては限界があり、本件事故もこのような医療の谷間で起きた事件というべきである。

第三  当裁判所の判断

一  亡清子の出産経過等

証拠(甲一、一七、二〇、二一、二六、二八、乙一ないし五、証人安部龍一、原告康弘本人、被告純一本人)を総合すれば、亡清子の出産の経過、新生産婦人科医院医師の措置及び佐波医師会病院に転送後の事実経過は次のとおりであったことが認められる。

1  亡清子(昭和三四年四月八日生の主婦で株式会社ホーマー商会従業員)は、平成三年六月一八日、新生産婦人科医院を訪れたところ、妊娠九週と五日であり、出産予定日は平成四年一月一七日と診断された。そして、新生産婦人科医院医師が一回目の血液検査を実施した結果、ヘモグロビン(血色素)が10.8グラム/デシリットルと貧血領域を示したので、平成三年七月一七日、亡清子が来院した際、貧血の薬(フェロミア、シナール)を投与した。

同年一一月一二日、新生産婦人科医院医師が二回目の血液検査を実施した結果、ヘモグロビン(血色素)が10.1グラム/デシリットルとやはり貧血領域を示していたので、同月二六日及び同年一二月一〇日、貧血の薬を投与した。

さらに同月二四日に実施された三回目の血液検査の結果、ヘモグロビン(血色素)が11.4グラム/デシリットルと増加し、亡清子の貧血は治り正常に戻ったと判断されたので、以後、血液検査は行われなかった。

2  亡清子は、出産予定日が経過し、頻回経産婦でもあり、日中分娩を希望したことから、平成四年一月二二日午後五時五〇分ころ、分娩誘発目的のため新生産婦人科医院に入院した。その際、新生産婦人科医院医師は、亡清子に対して、子宮口が硬く子宮頚熟化不全であったことから、子宮口を広げる目的でネオメトロ七〇シーシーを子宮に注入し、NST(non-stress test胎児心拍と胎動を腹壁を通して測定し、胎児の状態を観察する方法)を実施し、更に、子宮内操作による感染予防のため抗生物質ケフラールを投与するなどした。

3  亡清子は、翌二三日午前一一時、女児三六三八グラムを分娩したが、その際、新生産婦人科医院医師は、女児の頭部が出た段階で子宮の収縮剤(メテルギン一A)を静注し、さらに、同日午前一一時五分、胎盤を娩出した後、子宮の収縮をよくするため子宮の上に氷嚢を腹壁から当て導尿を施した。

その後、新生産婦人科医院医師が膣壁裂傷がないかどうか確認したところ、膣壁裂傷は認められなかったものの、会陰裂傷が認められたため、右裂傷を縫合したが、その際の出血は多くなかった。

しかし、右縫合後、大量出血が始まり、同日午前一一時二〇分、新生産婦人科医院医師は、亡清子の分娩後の出血が多いことから弛緩性子宮出血と診断し、子宮の収縮剤(メテルギン一A)の筋注、同飲み薬の投与(メテナリン一T、PGE2)、点滴(シントシノン一A、PGF2αA、アドナ一A、リカバリン一A)を看護婦に指示し、さらに、子宮底の輪状マッサージ及び子宮双合(双手)圧迫の処置をとった。なお、新生産婦人科医院医師は、シントシノン、PGF2α等の溶解液として五パーセント糖液五〇〇シーシーを使用した。

4  しかし、亡清子の出血は止まらず、同日午前一一時二五分には、出血量が一一〇〇シーシーに達したため、同日午前一一時三〇分、全身状態把握のため自動血圧心拍計をつけた。

同日午前一一時四〇分、尿量測定のため、留置カテーテルを挿入したところ、尿は血性少量で以後尿量の増加はなかった。なお、そのころ、亡清子は、食物残渣様のものを嘔吐した。そのころの血圧は一一〇の七〇であり、新生産婦人科医院医師は子宮収縮剤(PGF2α)を子宮に直接筋注した。

同日午前一一時四五分、亡清子の出血量は一五一〇シーシーに達し、さらに同日午前一一時五五分、亡清子の血圧が六六の二六(自動血圧計による測定)と低下したので、血圧を維持し代用血漿液としてヘスパンダー五〇〇シーシーを投薬した。

なお、同日午後零時過ぎころ、原告康弘は、野口医師に「もし血液等が足らないのであれば、私自身が妻と同じO型の血液型をしているので、私の方から血を抜いて一時凌ぎでも輸血に使用してくれるように。」と申し出ていた。

5  その後、午後零時一〇分までの出血量が三〇シーシー(計一五四〇シーシー)と軽減したので、新生産婦人科医院医師は、うまくすれば出血は止まるのではないかという感触を持った。また、血液がさらさらした状態に感じられ、血管内凝固症候群の状態を起こし、DICが増強する可能性があると認められたので、新鮮血を投与した方がよいと判断をした。なお、保存血は凝固因子が含まれていないので、DICには有効ではないとの判断をした後、クロスマッチテスト用の採血を行った。また、シントシノン一A、PGF2α一A、アドナ一A、リカバリン二Aを五パーセント糖液五〇〇シーシーと共に投与した。なお、そのころ、亡清子は「お昼で子供が騒いでいるので、お昼を食べに帰して欲しい。」旨話していた。

そして、同日午後零時三〇分、新生産婦人科医院医師は、佐波医師会病院へ輸血のための新鮮血を発注したところ、保存血は五本あるが新鮮血は前橋の日赤血液センターへ依頼するので四〇分くらいかかると言われた。そこで、新生産婦人科医院医師は、クロスマッチテスト用血液を佐波医師会病院に届けた。

6  その後、新生産婦人科医院医師は、バイタルチェックをし、同日午後零時三五分、出血量が一七六〇シーシーに達したので、ラクテック(乳酸加リンゲル)五〇〇シーシーを投与し、さらに、抗ショック作用のある副腎ステロイドホルモンを投与した。

しかし、出血は依然止まらず、同日午後零時四七分、出血量は二三〇八シーシーにまで達したので、残っていたラクテック二〇〇シーシーをデカドロン一V(八ミリグラム)と共に投与し、同日午後一時にも、ラクテック(乳酸加リンゲル)五〇〇シーシー、抗生物質のセファメジン二グラム、デカドロン一V、マスクにより毎分酸素一〇リットルを投与した。

しかし、同日午後一時五分、亡清子はチアノーゼ状態になり、四肢冷感、顔色不良の状態になった。

なお、同日午後一時一〇分、佐波医師会病院へ確認の電話連絡を入れたが、輸血用の血液はまだ到着していなかった。

7  同日午後一時二四分、亡清子の出血量は二五五二シーシーに達したので、子宮の収縮をよくして止血をはかるためにPGF2α二分の一を子宮筋に筋注した。また、亡清子の血圧、脈拍、酸素の状態が比較的落ちついてきたので酸素の量を毎分四リットルに減らし、同日午後一時三〇分、子宮の収縮剤と止血剤として五パーセント糖液五〇〇シーシー、アトニン一A、PGF2α二A、アドナ一A、リカバリン一Aを投与した。

同日午後一時四三分、亡清子の血圧が低下したので血圧の維持に努めるため、代用血漿液としてヘスパンダー五〇〇シーシーを投薬した。

同日午後二時、ヘスパンダーは血液が凝固するおそれがあり、クロスマッチに対しても影響を与えることがあり、一人について一日一〇〇〇シーシー以上は使用しないというのが一般的でもあることから、ヘスパンダーの投与を中止し、ラクテック五〇〇シーシーとデカドロン一Vの投与に変更した。

同日午後二時一〇分、亡清子に対し毎分二リットル酸素を吸入させた。

8  同日午後二時二〇分、佐波医師会病院から交差適合試験が終わったから輸血用の血液を取りに来てほしいとの連絡があったので、輸血用の血液を取りに行った。

同日午後二時三五分、新生産婦人科医院医師は、亡清子に対し一回目の輸血四〇〇シーシーをしたが、亡清子は、意識レベル低下、舌根沈下の進行した出血性ショック状態に陥った。

同日午後二時四三分、亡清子は心停止、自発呼吸停止の状態になったため、同日午後二時四五分、新生産婦人科医院医師は気管内挿管を行った。

さらに、同日午後二時四八分、新鮮血四〇〇シーシーを輸血した。このころ、亡清子は、意識レベルが回復し、応答も認められたが、出血量は三三四二シーシーに達した。

同日午後三時、亡清子を群馬県伊勢崎市下植木町四八一番地所在の佐波医師会病院に被告純一が付き添って転送した。

9  同日午後三時五分、亡清子の血圧は著しく低下していたが、新生産婦人科医院安部龍一が呼ぶとわずかにうなずく程度の意識はあった。同日午後三時一七分、動脈血検査の結果、亡清子は重症のアシドーシス(PH値6.828、BEマイナス30.4)と診断された。

同日午後三時二〇分、亡清子はICUへ入院した。その際、顔面は蒼白であったが、呼びかけに応じた。

なお、佐波医師会病院においては、亡清子に対して、DIC、出血性ショックに対する治療が行われた。

10  しかし、亡清子は、翌二四日午前四時四二分、弛緩出血による出血性ショックに基づく多臓器不全のため、佐波医師会病院において死亡した。

二  弛緩出血について(争いがない。)

産婦人科領域における出血による妊産婦の死亡のうち、弛緩出血による死亡は約四五パーセントである。したがって、産婦人科の日常臨床において、弛緩出血に遭遇することはそれほど稀ではなく、妊産婦死亡における弛緩出血の占める位置は大きなものがある。なお、弛緩出血とは、分娩第三期又はその直後の子宮筋の収縮不全、即ち子宮弛緩症に起因する強出血をいう。また、分娩出血量とは、分娩中及び分娩後二時間までの出血量をいい、正常値は五〇〇ミリリットル未満であり、異常出血とは、分娩後二時間までに五〇〇ミリリットル以上の場合をいう。

弛緩出血によるショック状態が発生した場合、可逆性ショックから不可逆性ショックへと進行することを阻止する必要がある。ところで、出血性ショックは重症になっても不可逆性になりにくく、出血源を止め、輸血、輸液を十分に行えば、ショックから離脱する場合が多いが、出血に対する処置が遅れると、ショックは進行し、不可逆性ショックに移行する。

そのため、もし一旦弛緩出血が発生した場合、極めて迅速に適格な対策がとられなければならない。その方法としては、いわゆる「救急蘇生法のABC」のプログラムに基づいて、止血処置をなすとともに、輸血、輸液をする必要がある。具体的には、五〇〇ないし一〇〇〇ミリリットル程度までの出血では、早めに血管確保を行い、輸液を開始すべきである。なお、輸血をしなくてもすむ出血の限界は一五〇〇ミリリットルであり、それ以上出血した場合には、輸液と輸血を組み合わせて投与しなければならない。

三  被告らの過失

そこで、被告らの過失の有無について、順次検討する。

1  出血性ショックの予見業務

証拠(甲二、一四、乙一一の二)によれば、妊娠中の貧血と弛緩性出血との関係について次の事実が認められる。

妊娠中の貧血と弛緩性出血との関係は必ずしも明らかではないが、ただ、妊娠中に貧血があれば、普通ではショックにならないような分娩時出血量でも、ショックに陥りやすい危険は増大する。そのため、妊娠中に貧血を是正しておく必要がある。なお、妊婦貧血の程度については種々の見解があるが、ヘモグロビン値11.2グラム/一〇〇ミリリットル以下をもって貧血の目安とされている。

ところで、前記のとおり、亡清子のヘモグロビンの数値は、平成三年六月一八日、一回目の血液検査においては、10.8グラム/デシリットルと貧血領域を示し、さらに、同年一一月一二日、二回目の血液検査においても、10.1グラム/デシリットルと貧血領域を示した。そこで、新生産婦人科医院医師は、亡清子に対し、合計三回の貧血の投薬を施し、同年一二月二四日、三回目の血液検査を実施したところ、その数値は、11.4グラム/デシリットルと右基準値を上回る結果を示した。

そうすると、右の事実関係のもとにおいては、新生産婦人科医院医師が亡清子の貧血は治癒したものと考えたとしても無理からぬところがあるから、同医院医師が事前に出血性ショックを予見しなかったからといって、これについて予見義務違反があったものとまでいうことができない。

2  輸血用血液の手配の遅れ

鑑定の結果によれば、一般に、輸血は、出血量が一〇〇〇ミリリットルに達した時点で開始すべきであることが認められるところ、本件においては、分娩後三〇分での出血が一〇〇〇ミリリットル、五〇分で一五〇〇ミリリットルを越えていたのであるから、早ければ平成四年一月二三日午前一一時三〇分、遅くとも同日午前一一時五〇分には輸血を開始すべきであり、また、前記のとおり、輸血をしなくてもすむ出血の限界は一五〇〇ミリリットルなのであるから、特段の事情がないかぎり、出血量が一五〇〇ミリリットルを越えた時点において、輸血を開始すべきであったといわなければならない。

また、鑑定の結果によれば、血液の手配は、手配をしてから実際に輸血開始可能までの時間も考慮して行われるべきであることが認められる。

これを本件についてみると、新生産婦人科医院医師は、まず、出血量が一五〇〇ミリリットルを越えた時点において輸血を開始すべきであるという要求に応えるためには、亡清子の出血量が一五一〇ミリリットルに達した同日午前一一時四五分ころには、直ちに輸血を開始できるような体制を整えておくことが必要であったものというべきである。また、仮に、当時新生産婦人科医院においては、右の体制を整えておくことが困難な状況であったとしても、被告純一は、佐波医師会病院に輸血用血液の手配を依頼してから新生産婦人科医院に届くまで約八〇分かかる(なお、実際には前記のとおり二時間余りかかっている。)ことを事前に了解しており(被告純一本人)、しかも、前記のとおり、異常出血とは、分娩後二時間までに五〇〇ミリリットル以上の場合をいうものであるところ、本件では、二〇分で一一〇〇ミリリットルとかなり早いスピードで出血しているのであり、当時被告純一もかなり短期間に急激に出血していると判断している(被告純一本人)のであるから、これらを総合すると、当時新生産婦人科医院医師は、弛緩性出血と診断した時点において輸血用血液の手配をしたとしても、右血液が届くまでに亡清子の出血量が一五〇〇ミリリットルを越えるかもしれないということを十分予想することが可能であったものというべきである。

そうすると、新生産婦人科医院医師が亡清子を弛緩出血と診断した時点における亡清子の出血量及び出血のスピードや新生産婦人科医院の置かれた輸血体制等を総合すると、新生産婦人科医院医師は、少なくとも亡清子を弛緩出血と診断した後のできるだけ早い時期即ち午前一一時二〇分ころの時点で直ちに輸血用血液の手配をすべきであったといわなければならない。

そしてさらに、前記認定事実によれば、その後も亡清子の出血量は増加しているのであるから、緊急策として、原告康弘の血液の提供を受けて輸血することや保存血液の使用も検討されてしかるべきであった。

ところが、本件において、新生産婦人科医院医師は、これらの措置を講じなかったのであるから、同医師には、輸血に関し、過失があったものといわなければならない。

3  初期輸液療法について

原告らは、同日午前一一時二五分、亡清子の出血は一一〇〇ミリリットルであったから、初期輸液療法としては、乳酸加リンゲル液一〇〇〇ミリリットルないし二〇〇〇ミリリットルを約一時間で投与すべきであったのに、新生産婦人科医院医師はこれを投与せず、初期輸液療法として禁忌とされる五パーセント糖液五〇〇シーシーを投与したと主張しているが、鑑定の結果によれば、この時期(血圧低下のない時期)の輸液はショックの予防や血管確保が主な目的であるから五パーセント糖液の投与は処置として適切であったことが認められる。なお、確かに、文献(甲七)の中には、初期輸液は、糖質を含む輸液剤を用いてはならないという記載のあるものもみられるが、証拠(甲二、四、乙一一の三)によれば、ブドウ糖液の投与には注意を要する旨の指摘がされているものの、それが初期輸液療法として禁忌とされるとまでは言われていないことが認められ、また、証拠(甲一五、乙一一の五)によれば、出血性ショックの治療としての輸液の種類はいろいろあるが、通常は0.9パーセント生理食塩水、五パーセントブトウ糖液、ハルトマン液などで十分であること、証拠(乙八)によれば、PGF2αを点滴静注する際に五パーセントブドウ糖液で希釈するものであること、さらに、証拠(甲八)によれば、乳酸加リンゲル液の投与には問題があることがそれぞれ認められ、これらの事情からすると、本件において新生産婦人科医院医師のとった処置が誤りであるとまではいうことができない。

4  止血処置について

証拠(甲二、鑑定)によれば、弛緩出血に対する止血処置には、薬物による止血法と機械的止血法の二種類があり、薬物による止血法としてはオキシトンの点滴静注、PGF2αの点滴静注あるいは子宮筋への直接注射やエルゴメトリン、硫酸スパルティンの投与などがあり、機械的止血法としては子宮体マッサージ法、子宮圧迫法、最後の手段としての子宮摘出手術などがあるが、個々の医師はその中から適切と信じる方法を選んでいるのが実情であることが認められる。

これを本件についてみると、新生産婦人科医院医師は、薬物による止血法として、シントシノン(オキシトン)、PGF2α及びメテルギン(メチルエルゴメトリン)を適時、適量用い、また、機械的止血法として、同日午前一一時五分、氷嚢を使用し、同日午前一一時二〇分、子宮底輪状マッサージ及び双合(双手)圧迫マッサージを実施しているのであるから、止血処置については、新生産婦人科医院医師のとった処置に誤りは認められないというべきである。

なお、原告は、出血が止まらない場合、子宮摘出などの観血的方法(手術による方法)で止血処置をなすべきであったと主張するが、証拠(甲二、鑑定)によれば、右止血処置をするかどうかは患者が重症の際には手術に耐えられるかどうかが問題であってその見極めが大切であるとされていることが認められるところ、本件における亡清子の状況に照らすと、亡清子が手術に耐えられたかどうかは必ずしも明らかではなく、むしろ被告らの主張するようにかえって亡清子の症状を悪化させた可能性も否定できないから、これらの事情に照らせば、新生産婦人科医院医師の見極めが誤っていたとまではいうことができない。

5  気管内挿管について

亡清子は同日午後一時二四分には呼吸状態が良好であったことから、酸素濃度毎分一〇リットルから四リットルに減らされている。さらに、同日午後二時一〇分には二リットルに減らされているから、この時点では呼吸状態は正常であったと推認される。亡清子は、同日午後二時四二分に至って、呼吸困難な状態に陥ったものとみられるところ、新生産婦人科医院医師は、この時点でマウスツーマウスで時間を稼ぎ、続いて気管内挿管を行っているのであるから、気管内挿管については、同医院医師のとった処置に不適切な点はなかったものというべきである。

6  代謝性アシドーシスの補正(治療)について

証拠(甲五)によれば、PCO2、PO2、PHを測定してアシドーシスの監視、補正をすることは極めて重要であることが認められるところ、証拠(証人安部龍一)によれば、その後、佐波医師会病院入院直後の検査で、PH6.828、BE30.7と高度のアシドーシスが明らかになっていることが認められ、これによれば、当時亡清子について、代謝性アシドーシスの補正が必要であったことは明らかである。

また、証拠(甲二二、鑑定)によれば、一般に重症ショックではアシドーシスが存在するであろうことは当然推測ができるから、動脈血検査(PH、BE、PO2、PCO2)ができなくても、重炭酸ナトリウムの投与を考慮すべきであるとされていることが認められる。

そうすると、たとえ被告らの主張するように当時新生産婦人科医院に器械が設置されておらず、血液ガスの計測ができなかったとしても、当時の状況からすれば代謝性アシドーシスの補正をすべきであったといえなくもないようにも思われる。

しかしながら、他方、鑑定の結果によれば、本件のアシドーシスはショック及びDICによる末梢組織の低酸素症や腎機能低下などの結果であって、その補正は輸血療法、輸液療法などに優先するものではないことが認められる。

そうすると、本件においては、輸血療法及び輸液療法が急務であったというべきであるから、代謝性アシドーシスの補正をしなかったことは、過失とまではいえないものというべきである。

7  転送時期について

前記のとおり、新生産婦人科医院医師の処置のうち、輸血の手配の遅れを除くその他の処置においては概ね適切な処置がとられていたというべきであるから、右のその他の処置をとることを目的とする転送の必要性はなく、したがって、転送の時期に関してはそれが特に遅きに失したということはない。

四  因果関係について

そこで、輸血の遅れの過失と亡清子の死亡との因果関係の有無について検討する。

まず、亡清子の出血量が一五〇〇ミリリットルを越えた平成四年一月二三日午前一一時四五分ころ、輸血の開始がなされていれば、当時の亡清子の容態からしてその死亡を防止できた可能性は極めて高かったというべきである。

また、新生産婦人科医院の置かれた現状を前提にして、新生産婦人科医院医師が亡清子を弛緩出血と診断した後のできるだけ早い時期即ち本件では同日午前一一時二〇分ころの時点で直ちに輸血の手配をしていれば、本件で実際に輸血が開始された時刻よりも約一時間以上前の同日午後一時二五分ころには輸血を開始することができたことになるところ、そのころの亡清子の状態は、前記のとおりかなり落ち着いていた状況にあったのであるから、この時点でも、亡清子の死亡を防止できた可能性はかなり高かったものと考えられる。

加えて、その時点以前においても、原告康弘の血の提供を受けて輸血することや保存血を使用することも可能であったことからすると、右使用によってもたらされるかもしれない感染等の危険性を差し引いてもその蓋然性は更に高まると考えられ、被告純一本人も、同日午後一時五〇分ころに輸血すれば亡清子の状態が改善された可能性があったことを認めている(被告純一本人)事実をも併せ考慮すると、輸血の遅れについての過失と亡清子の死亡との間には因果関係があるというべきである。

五  被告らの責任

1  債務不履行

診療契約の当事者である被告医療法人は、履行補助者である新生産婦人科医院医師の診療上の過失によって亡清子を死亡せしめたものであるから、これによって亡清子の被った後記各損害を賠償すべき責任がある。

2  不法行為

被告純一は、新生産婦人科医院医師の一員として亡清子に対する診療に携わり、過失により同女を死亡させたものであるから、原告らに対して、夫として子として被った精神的損害を賠償すべき不法行為責任がある。

また、被告医療法人は、被告純一を含む新生産婦人科医院医師の使用者として、不法行為責任を負う。

六  亡清子の損害

1  逸失利益

亡清子は昭和三四年四月八日生の主婦であり、かつ、その当時、株式会社ホーマー商会従業員として相応の収入を得ていたから、亡清子は、本件事故がなければ、六七歳までの三五年間家事労働に従事する傍ら自らも会社従業員として稼働し、その間、家事労働の評価額及び従業員としての収入を合計して平成四年度の賃金センサス第一巻第一表産業計企業規模計学歴計女子労働者全年齢平均給与額を下らない額の収入を毎年得ることができたものと推認するのが相当であり、右年収から生活費として四割の割合による金額を控除し、以上を基礎にライプニッツ方式により年五分の割合による中間利息を控除して算定すると、亡清子の逸失利益は次のとおりとなる。

計算式

309万3000円×0.6×16.3741=3038万7054円

2  慰謝料

前認認定事実及び証拠(弁論の全趣旨)によれば、亡清子が本件事故により精神的苦痛を被ったことは明らかであるが、被告らには、客観的には前記過失が認められるものの、亡清子を救命するための懸命の治療行為を行ってきたこと等の事情も認められ、これら本件における諸般の事情を考慮すれば、亡清子の右精神的苦痛に対する慰謝料は一四〇〇万円が相当である。

3  原告らの相続

右1、2の合計額四四三八万七〇五四円が亡清子の被った損害であるところ、原告康弘は亡清子の夫であり、原告亜悠子、同一弘、同雅代及び同有紀代は亡清子の子であるから、原告らは、法定相続分に従い、原告康弘が二分の一、原告亜悠子、同一弘、同雅代及び同有紀代がそれぞれ八分の一の割合により、亡清子の損害賠償請求権を相続したものであり、右損害賠償額を計算すると、原告康弘につき二二一九万三五二七円、原告亜悠子、同一弘、同雅代及び同有紀代につきいずれも五五四万八三八一円となる。

七  原告らの固有の損害

1  原告康弘の損害

(一) 近親者慰謝料

前記認定事実と証拠(原告康弘本人、弁論の全趣旨)によれば、原告康弘が亡清子の死亡により精神的苦痛を被ったことは明らかであるが、亡清子の慰謝料算定の際の前記六2と同様の諸般の事情を考慮すると、その精神的苦痛に対する慰謝料は、二〇〇万円が相当である。

(二) 葬儀費用

証拠(原告康弘本人)によれば、原告康弘は亡清子の葬儀費用として約二五〇万円弱を支出したことが認められるが、右金員のうち、亡清子の死亡と相当因果関係に立つ損害は一二〇万円をもって相当と認める。

(三) 弁護士費用

証拠(弁論の全趣旨)によれば、原告康弘が本訴の提起及び追行を原告ら訴訟代理人に委任し、相当額の費用及び報酬の支払を約したことが認められるところ、本件事案の性質、審理の経過及び容認額等諸般の事情を考慮すると、右金額のうち、本件医療事故と相当因果関係に立つ損害は、四〇〇万円をもって相当と認める。

2  原告亜悠子、同一弘、同雅代及び同有紀代の各損害

前記認定事実、原告康弘本人及び弁論の全趣旨によれば、原告亜悠子、同一弘、同雅代及び同有紀代が亡清子の死亡により精神的苦痛を被ったことは明らかであるが、亡清子の慰謝料算定の際の前記六2と同様の諸般の事情を考慮すると、その精神的苦痛に対する慰謝料は各一〇〇万円が相当である。

第四  結論

以上によれば、被告らは、不法行為による損害賠償として、原告康弘に対し、金二九三九万三五二七円及び内金二五三九万三五二七円に対する亡清子の死亡日である平成四年一月二四日から、内金四〇〇万円に対する同日以降で訴状送達の翌日である平成四年九月一二日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の、原告亜悠子、同一弘、同雅代及び同有紀代に対し、各金六五四万八三八一円及びこれに対する平成四年一月二四日から支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の各支払義務を負担していることになる。

よって、原告らの本訴請求は右の限度で理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官山口忍 裁判官高田健一 裁判官藤原俊二)

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